「浅はかと、思われるかもしれません」
暖かい茶を啜りながら、木崎がゆっくりと口を開く。
夏とは言え、さすがに陽も落ちた。
慎二が去った後の個室。茶を運んでもらい、智論と二人で向かい合う。
香ばしい香りが微かに流れてくるが、暑さのせいだろうか、あまり腹は空いていない。
「かまいません。自分でも、馬鹿な期待だとわかっております」
「そんなコト言わないで」
宥めるように、智論が言葉を被せる。
「木崎さんの気持ちもわかるわよ。私だって……」
その先にうまい言葉が見つからず、結局口を閉じてしまった。
客は、慎二たち以外にもいるようだ。奥からは時折笑い声も聞こえ、仲居が忙しそうに行き来する足音も聞こえる。
「私だって、もしこれが転機になるならそうあって欲しいと思う。だけど」
再び言葉を失う智論をそっと見やり、木崎はもう一口啜った。
「慎二様が、あれほどまでに興味を持たれるのは、実に不思議です」
頷く智論が、先を促す。
「駅舎に唐渓の生徒が居るとお伝えたとき、まさか会いに行くことになろうとは、それも慎二様からおっしゃるとは思いませんでした。むしろ、疎ましがるとすら思いましたね」
唐渓の生徒などに、いまさら会いたいとは思うまい。唐渓高校という存在自体、忘れてしまいたがっているだろう。木崎はそう思っていた。
「美鶴さんに会われた後の慎二様は、心なしかご機嫌でした。駅舎の管理を任せたいなどと申し出たコトにも驚きましたが、その態度にも驚かされました。その……」
そこで言いよどむ木崎に、智論は首を傾げる。
「なぁに?」
目をパチクリさせる相手へ向かって、躊躇いながらも口を開く。
「それなりに、好感を持たれたようで」
そう言って智論の視線を避ける木崎の態度に、首を捻り、だがやがてハッと目を丸くした。そうして次には、笑い声をあげてしまった。
「やだっ ちょっと木崎さん。ひょっとして私に気ぃ使ってる?」
「はっ はぁ」
智論の態度にどう答えてよいのかわからない。そんな木崎の態度に、智論は肩を竦めた。
「許婚なんて、親同士が決めただけよ。それに、決めた本人たちもそれほど拘ってるモンじゃない。私も慎二をそうやって見たことはない。ただ、小さい頃から知ってるヤツってだけ」
「はぁ」
「気にしないで。慎二に桐井先輩っていう彼女がいた時だって、何とも思わなかったもの」
だが、軽快な口調が突然途切れ、知らずにあらぬ方角へと視線が虚ろになる。
「そうね」
そうして、ぼんやりと呟く。
「また慎二が、誰かを好きになれたら…… いいわね」
その言葉に、ゆっくりと瞳を閉じる。
そうなれば良いと、木崎も思う。
だが、ひょっとしたらと期待した慎二の美鶴に対する言動は、どうやら女性への好意とは少し違うようだ。
今回美鶴を連れてきた件だって、女性を横に置く姿を母の聖美や智論に見せて、その驚愕の表情を楽しむだけの茶番に過ぎなかった。
そう、今の慎二は、そうやって女性をからかって弄んで、面白がっているだけだ。
なぜ?
その答えを、木崎も智論も知っている。
慎二の胸の内に渦巻く、女性に対する不信感。その根深さも知っている。
もはや修復は無理だろうと思っていたところに、美鶴の登場。
だが、美鶴の存在が慎二にとってどのようなモノなのか、木崎は掴みかねている。
そもそも、好意なんてモノを持っているのだろうか?
他の女性と同じ、からかって弄ぶだけの対象でしかないのだろうか?
だとしたら、彼女に申し訳ない。
智論の言うように、万が一にも美鶴が慎二に対して好意を持つようなコトになってしまったら、どうなるのだろう? 自分の存在の軽さを知ったとき、美鶴は果たして、どうなってしまうのだろうか?
彼女はまだ高校二年生だ。傷つき易く、壊れやすい。
そうだ。織笠鈴も、高校二年生だった。
そしてこれからも、彼女は永遠に十七歳。それ以上に成長することはない。
だが、大迫美鶴は違う。彼女には未来がある。
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